社長のコラム(2026年1月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 人間は1日に約1.2万〜6万回の思考を行い、そのうち約80%がネガティブな内容、さらに95%は前日と同じ内容を繰り返しているらしい。脳は危険を避けるためネガティブに傾きやすい特性があるらしい。たくさん思考している割に非効率だ。そう言われてみたら、私もそうかもしれないので、意識して少しでも改善しようと思う。ネガティブ思考だと恨みや報復、ポジティブ思考だと感謝や返礼につながる。たったの一文字「し」を「お」に変えるだけで、「しかえし(仕返し)」は「おかえし(お返し)」に変わる。そう言えば簡単そうだが実際はどうだろうか?個人から世界まで私が感じているのは「お返し」よりも「仕返し」の方が多そう。国と国の関係では、報復する関係性ではなく、トルコのエルトゥールル号遭難事件の恩返しを筆頭にお互い困った時に助け合う「義理堅い」関係性が、キャチボールをするかの様に続いていくと良い世界が出来るだろう。世界に限らずあらゆる人間関係でも同様に「義理」がない人(サイコパスその他)が混ざるとぶち壊しになってしまい「義務」へと変わる。「仕返し」どころかそれを超えて恩を仇で返す「恩知らず」の悪い関係性すらも目立つ。残念だ。理想としては、世界、国、組織などから、恨みや報復を根絶した方がよいのかもしれないけれど、そう簡単ではない。もしも、誰かが裏切って自己中心的な言動をし続けて、その被害を受ける場合は、自分の身を守るために「攻撃は最大の防御なり」という視点で報復しなければならない時がある。そうなってしまうのは仕方ないのだが、私たち一人一人が恨みよりも感謝の気持ちを増やすように抵抗しなれば負の連鎖によって全てが破壊される結末となる。まずは私から意識を高めたい。(1/29)
- NHK「おかあさんといっしょ」内の人形劇『ブンブンたいむ』(1979-1982年放送)の曲『ブンブンホイ』で『ウソ!! ホント!! ブンブンほい』という歌詞がある。おおよそ45年も前の曲が私の中で鳴り響く。大抵は嘘かな?本当かな?と思うシーンで『ウソ!! ホント!! ウソ!! ホント!! ウソ!! ホント!! ブンブンほい🎵』って感じ。そして、以前よりもこの曲が私の中を巡っていることが多い。なぜなら、嘘と本当の見分けがつきにくい時代だからである。最近ではAIで作成したフェイク動画と本物の見分けがつかなくなっている。しかも、フェイク動画は素人でも簡単に作れてしまう。見分けがつかないということは証拠写真や証拠動画は無意味になるだろう。想像するだけでも何かと困ることになる。私が想像したことを細かく伝えたいがここでは割愛するが、ひとつだけ言うなら、(要領が悪く利用される・権力を持たないなどの)善人が悪人の被害に合う仕組みが出来上がるだろう。フェイクを見破るシステムがあるとして善人を守ってくれたらと願う。メールチェックはある程度はGoogleなどがSPAMかどうかを判断してくれるものの、SPAMでないものが迷惑メールに入っていることは多いし、逆にSPAMが迷惑メールに入ってないこともある。悪人はそれを超える技術で突破してくるし、セキュリティを強化すると善人が送付したメールが迷惑メールになる。騙されないようにとして、疑ってばかりいたら、ほとんどのメールがひらかなくなって、本物を偽物と勘違いして、重要なメールが見られてないことが増えた。テレビ、ネットなどの情報も、政府が発信する情報すらも、過去に大嘘つきだったことは何度もあるので、疑いの目で見るしかない。中には、国民に動揺させないためのやさしい嘘もあるので全面否定はしないが、明らかにそうとは思えない嘘が目立つ。ここ数年でも色々とバレた。この様な時代に求められるのは、本物志向(ホンモノシコウ)であるはずなのに何故か逆行しているという歪みがある。偽物な商品を買ってしまう傾向がある。当社が顧客に伝え続けてきたことは、まさしく『本物志向』であるが、今のところ苦戦している。いつか歪みが解消して、本物が勝つ時代が来ることを信じて。(1/26)
- 親切に見えても次第に周囲の空気を悪くするヒツジの皮をまとうオオカミのような人を「マニピュレーター」とか「コミュニティクラッシャー」と呼ぶらしい。マニピュレーション(心理操作)を使ってコミュニティを崩壊させる人を「コミュニティクラッシャー」と呼び、そういう人は自分が「いい人」に見られたいという欲求が強く、自らが矢面に立つのを避け、誰かを“悪役”に仕立てて、自分の要求を通そうとする。 また、裏でこっそり噂を流して人間関係を混乱させたり、社内やグループ内に不信感をまき散らしたりすることもある。こんな人とは絶対に関わりたくないけど被害にあうまで気付きにくく、鈍感な人だと、被害にあっても気付かないようだ。例えば、古くからの親友に新しい仲間が1人増えたとして、その1人がそういう人だったら、親友関係はこじれて絶交することになるという、いつの間にか親友を奪われているケースは少なくない。だからこそ、親友と仲が悪くなった人には、まずは、周囲を疑ってみる様にアドバイスする。「人は人と仲良くなる為に共通の敵をつくる」という内容のコラムは以前に書いたことがあるが親友に関わらず組織までも潰す。「ブラック企業」「ハラスメント」「過労死」などというワードを国民にすり込んでいるが、これも、企業と社員との関係性を悪化させて、私たちは労働者の身方である「いい人」に見られる目的なのか、まさか「分断統治」しているのか?分断統治とは、支配階層が世の中を統治しやすくするために、支配される側の結束を分断して、支配層への反乱を未然に防ぐための統治法であり、国際関係でも多く採用されている。関係性を悪化させて得するのは誰だろう?と考えていくと怖くなる。世の労働者の皆さんに伝えたいことは企業が悪いのではなく、あくまでも低モラルな企業と労働者が悪いのであって、企業を共通の敵とするのではなく、共通の敵は低モラルな企業や労働者であり、特に低モラルな労働者がコミュニティクラッシャーに位置する。コミュニティクラッシャーを滅亡させることが出来たら、多くの課題は解決する。(1/20)
- 「No Show(ノーショー)」って何だろう?答えは予約したにも関わらず連絡もなしに現れない「無断キャンセル」のこと。私にとっては馴染みがないが英語圏はちろんのこと日本でも飲食店やホテルや航空会社などでは普通に使うらしい。「すっぽかし」とか「ブッチ」の方がお馴染みだろう。直前に連絡して土壇場でキャンセルする「ドタキャン」を超える迷惑である。ちなみに日本では経済産業省の調査(2018年)で飲食業界のノーショー被害額は年間約2000億円、ドタキャン含むと約1.6兆円と推計されてるらしい。まわりまわるとその被害額分の割り増しが約束通りに来店した顧客に上乗せされてることが想定できる。手付金をとっておくことで解決しそうだが、予約システムが複雑化し、予約する人が減るだろうから簡単ではないだろう。飲食店以外も同様に、ノーショー&ドタキャン被害は続出している。高モラルな人が、偶々、本当に重要なことでキャンセルしないといけなくなった場合、相手へ配慮した対応をしてくれる。それが、思いやりだとベターだが、責任感だったり、低モラルな人と同類ではないというプライドからだったとしては構わない。当社も私もノーショー&ドタキャンの被害にあうことは日常茶飯事である。その時間をその人の為だけに他の用事を入れずに待っていて、事前の準備にも時間をかけたので、かなりの痛手となる。その事をわかってくれて、思いやりのある対応をしてくれる人には感謝している。当社も私もノーショー&ドタキャンの加害者にならない様に努力し、もしも、迷惑をかけることになった時には、相手への配慮を忘れない様にしたい。(1/17)
- 本を読むのが苦手な私にとって、文字数が少なく薄い本は嬉しい。私の中にスーッと入ってきて、今でも、頭から離れない『チーズはどこへ消えた?』を紹介する。大切なチーズが突然消えた時、ネズミ(スニフとスカリー)はすぐに状況を受け入れて探しに出るが、小人(ヘムとホー)は「元に戻る」と期待して古いチーズステーションにとどまり続けた。物語が進むにつれて、ホーは変化を受け入れることの大切さに気づき、恐怖を乗り越えて、新たなチーズを見つける冒険に出た。この短くてシンプルな物語から、変化に適応し、常に学び続ける姿勢が、長期的な成功と満足につながるという教訓を学ぶもの。私がこの本を読み終えた時に、迷路(現状)に留まることを選んだ小人のヘムのことが心配になったが、ちゃんと『迷路の外には何がある?』という続編が用意されていて安心した。ヘムには新しい仲間「ホープ」も出来て、固定観念から解放され、前向きに変化を受け入れることが出来たのだった。めでたしめでたし。気がかりなのは、この本を、三日坊主な人が見ると、物語の意味を勝手に解釈して、益々、長続きしない人になるかもしれないので心配になる。そういう人には、もしも、古いチーズステーションにとどまり続けた結果、チーズが元に戻ってきたという物語で、信念を曲げず続けていくことが大切であるという教訓を得た方がよい。こうして肯定否定し歪んだ見方をするなどしていく内に、私の中で化学反応していき、私自身を新たな登場人物とした続編が作られていく。私は会社を経営しながら、大切なチーズが突然消える恐怖に怯えて、まだ、チーズがある内に、新たなチーズを探す冒険をして損をした経験がある。私はまだなかなか迷路から抜け出せそうにない。(1/14)
- 物事を深く考えず、表面的で思慮に欠ける考え方や言動をする「浅はかな人」の方が、本質を見抜き洞察力がある人よりもある意味幸せなのかもしれない。短絡的に、物事の本質や筋道を深く考えず、原因と結果、問いと答えなどを性急に結びつけてしまった方が余計なことを考えて悩まなくて済むし、周囲からの反発も少なくなって仲良しこよしになれるなど自然に流れにそえて良い。私は意識的にその楽な道を選ばず、面倒な道を歩んできた。その結果、良くも悪くも今の当社の価値を生んでいる。あえて「良くも悪くも」と表現した理由は、顧客のニーズよりもインサイトに目を向けて時間をかける営業スタイルは、マーケットに素直に従ってスムーズ売上を上げることが出来ないし共感してもらいにくいデメリットがある。多くの人の常識を打ち破る逆張り営業スタイルは、他者とは異なる考えを持つだけでなく、他者を上回る考え方である必要性があり、相手によっては難しく感じられて、わかりづらい説明だと思われるリスクがある。だからこそ、難しい話を簡単にわかりやすく説明する訓練をして今がある。よくありがちな保険相談は、簡単な話を簡単に伝えて、わかりやすい説明で良かったという評判を求めるか、わざわざ難しく伝えて詳しい人で安心してお任せ出来るという評判を求めるかのどちらかではないだろうか?そういう中、私は難しい話を簡単にすることにエネルギーを注いできた。最も大切なの力は洞察力(本質を見抜く力)なのに、堂々と無視して本質を見失っている人たちが多い。それがいかに大切であるかについては「木を見て森を見ず」「鹿を追う者は山を見ず」「本末転倒」などのことわざや、多くのビジネス書などで伝えられている。私は、表面的な情報に惑わされず、常に「なぜそうなのか」「何が一番重要か」を問いかけ、物事の根本的な部分(核心)に立ち返る思考と行動が重要であることを、強く意識して日々の業務に取り組んでいる。私主観では(私が知る限り)ほぼ全員が間違った逆効果な保険相談をやり続けていることが想定できる。(1/10)
- 私はおおよそ33年間、自動車保険を取り扱い、それなりの経験と思いがある。私は21〜29歳までのおおよそ8年間を損害保険会社で勤務し、その内の数年間は、営業と事故担当者が数メートルの距離で仕事をしたこともあり、自動車事故との関わりが多く良い経験をした。現在は保険代理店としてその経験を活かしている。当時は、強面の保険代理店が保険会社に怒鳴り込んでくる様なシーンだったり、保険会社の事故担当者が事故相手に対して暴言を吐いたりなどは日常だった。その頃、顧客から求められた保険代理店は、事故の過失割合を優位にするかどうか等、事故処理メインという傾向があった。今でも高齢な保険代理店にはその名残がある。ちなみに保険代理店によって過失割合が変わる様なことはあってはいけない。私も強面になって強い口調で事故の交渉をするべきではないかと思ったこともあるくらいに自動車保険の販売には影響があった時代だった。最初の10年近くは事故現場へ急行していたし、保険会社の社員時代には、時々事故相手との示談交渉に関わったこともあった。公共の交通機関の担当をして毎月数十回もの事故対応をした時代もある。そうこうしている内に私は保険代理店の役割として間違っていることに気付き、当時は異端児となるも正しい保険代理店の自動車事故への関わり方を確立させた。ちなみに、当社は自動車事故に全く関わらない訳ではなく、顧客と保険会社との関係性を保つ協力などをする役割を担うので誤解なく。まずは、自動車事故を起こした際の連絡先は、保険会社でも保険代理店でも構わない。顧客(契約者様や被保険者)の当然の権利であるので、特に、保険会社への連絡を阻止して必ず保険代理店へ連絡をしてもらう様に強制することは許されない。しかも、私が総合的に考えて理想を言うなら、保険会社へ問い合わせ方が顧客の為に都合がよい。また、誤解をされている人がいるが、事故の相手様との示談交渉は保険代理店には法令上不可能であることもあり保険会社が対応するしかない。示談で済まないなどのケースであれば稀に弁護士対応となるが、多くはそこまでに及ばず保険会社による示談対応で完了している。保険代理店が事故現場に急行することは自由だが事故の相手と交渉するまで手を出すことは許されていない。以前よりは随分と改善したが「事故処理は当社に任せて下さい」と顧客に伝えていた保険代理店が多かったが、これは誤解を招く営業トークであり、コンプライアンスに反する。保険代理店は顧客が保険会社の事故処理サービスを十分に受けてもらう為にもしゃしゃり出て邪魔してはいけない。ついでに通販型自動車保険との相違点に保険代理店が事故処理をしてくれるからというのも間違った説明である。私はそういう意味ではなく他の理由で通販型自動車保険は絶対におすすめしない。その理由はこのコラムでは触れないでおく。自動車保険の契約や変更などの際には念入りに説明しながら設計していくことなどが保険代理店の最重要業務であるが、それを手抜きしている保険代理店が多く、その結果、無駄な保険料を支払っている人や保険金の支払いがされない等の被害にあっている人を沢山見てきた。本来の保険代理店の役割を果たすべきだ。事故処理は保険会社が行うべきものである。恐ろしいことに自動車販売業者など保険代理店の中には自力で保険料の試算すらもせずに、酷い場合は、保険会社の社員が代わりにやっていた事が判明し問題視されている。これは許されない。ビックモーター問題をはじめ以前から保険会社が間違い続けてきたことをはじめ、保険会社および保険代理店の本来の役割を正しく担って無く、今後もさらに脱線する気配を感じている。当社は間違いがない様に示していきたい。(1/7)
- 年末の大掃除とまでは言わないが、いつもより多めに掃除した結果、私は金持ちではなく、物持ちであることがわかった。しかも、何年も使ったことがないガラクタがほとんどである。さて、私の掃除法はとにかくゴミ袋一袋分のゴミを見つけて捨てることから始まる。断捨離についてはこれまで何度かコラムに掲載したことがある通り、「捨てること」がいかに大切であるかを実感している。掃除をすることによって好転するメカニズムがある。その1は大切な物が見つかる可能性が高いこと。ついでにウッカリ忘れてことを思い出してセーフってこともある。その2は片付くと余計なものが目に入らずストレスが減り思考の妨げがなくなる。その3は物を捨てることによって捨てる脳に変えて、その勢いでPCなどのデータを捨て、最も難易度の高い頭や心の中のものを捨てるというホップステップジャンプ方式。そのおかげで整理整頓されたり余裕が出来たりして、新たな考えが浮かんだり考えがまとまったりする。その4は清潔になって病気になる可能性が減る。その5はなんだかわからないけど商売繁盛になる。その5だけは論理づけることが出来ないが、特に集客力が増す傾向は実証済みである。私にとっての掃除の目的は掃除することだけでなく運気を上げる儀式の様なものだ。また、論理づけることが出来ない事はいずれ私の成長によって論理づけることが出来るかもしれない楽しみでもある。そういう意味では断捨離する物がなくなってしまうとその儀式が出来ないので、捨てるゴミが重要である。私にはまだまだ捨てることが出来るガラクタがたくさんあるので安心である。ゴミも必要悪ってところかもしれない。掃除に限らず、何らかの目的を果たす為に、その目的を少し横に置いて、他に目的をつくったりゲーム化したりなど工夫する戦術は私流。(1/1)
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